シモーヌ・ヴェイユ
シモーヌ・ヴェイユをキリスト教的観点から読む人は多い。
当時の思想家ではよくあったことだが、ヴェイユもまた彼女の兄と同じくバガヴァッド・ギーターを初めとするインド哲学に触れている。
余談だけど史上初の原爆実験後にオッペンハイマーが、バガヴァッド・ギーターを引用した映像を見た人は多いと思う。
ドイツ哲学もナーガールジュナを初めとするインド論理学の影響を受けておきながら知らぬそぶりで、如何にも「私が発見者なの〜」みたいに振る舞うところが西欧の卑しいところだよ。インド人よりイギリス人の方が優れていることを証明するために、やっきになってる学者もいたり(笑)
と、話が逸れた(^^;
ヴェイユの本を手に取るといつも感じるのはヴェイユ自身が手がけた著作と、そうでない本との落差!
『神を待ち望む』はキリスト教信仰者が自分たちのために編集したんじゃないかと思うほど。
『ヴェイユの哲学講義』などは、透徹した意志が貫かれておりコンスタティブな語りでキリスト教信仰者以外にも読みやすい。ちなみに理解しやすいかどうかはまた別な話である(笑)
今も『重力と恩寵』を読み返していたんだが、もう現前するコンパッション(受苦=共苦)の苛烈さにクラクラする。
いかれブッシュのネオコンだの経済合理性のネオリベだの身も蓋もないベタで暗い日常がまだこれから何年も続くであろう世の中にあって、ヴェイユは闇に瞬く焔であるわけです。
それも理解してから感動が押し寄せてくるフーコーと違って、より直裁に魂に斬り込んでくる言葉がもう…。
あとはただひたすら読むことしか出来なくなってしまうのであります。